耐えるということ

初代育成会長 大越神父様が筆字で「 忍 」とお書きになったものを額装して飾らせて頂いております。道元の教えの中にも忍辱(ニンニク)という言葉があります。苦難に耐え忍ぶことです。欲しいものが手に入らない時、他人から悪口を言われた時、【 じっとがまん 】すること、それも忍辱のひとつです。悪口を言われた時は自分では気がつかない自分の欠点をただで教えて頂いたと、むしろ感謝の念の方が宜しいと思います。

思うようにならない人生を生きてゆくためには、耐え忍ぶということを身に着けておくことが必要です。それも大人になってからでは手遅れです。幼いときから、普段の日常生活の中で、折にふれ、時にふれ、具体的な事実に触れながら、親が子に教えることが大事なことだと思います。一番よいことは親自身が、がまん強い人間の手本になることです。

小学生や、中学生の自殺のニュースが絶えません。その原因は複雑で簡単にはいえませんが、忍辱というものが、幼い時から身についておれば、命を断つまでにはならないのでないかと、私は胸が痛んでなりません。私の言う忍辱はいわゆるスパルタや強制的なものではありません。長い人生ですから長続きできない我慢は駄目です。「 雨の日には雨を、風の日には風を 」式の忍辱で、むきにならず当たり前に生きることです。

すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 (コリントの信徒への手紙 13-7)

(久保田武光育成会長からのメッセージ 14団ニュース2012年10月号より)