生きる力ってなんだろう

日本の教育が変わろうとしています。

すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために、子どもたちに育むべき力とは、「豊かな人間性」「健康・体力」「確かな学力」を総合した「生きる力」である。

では、生きる力とは?
なんとなくわかったような気がするけれど、たぶん10人いたら10人それぞれの描くものがあるはず。
私はこう思う…そうはっきり言葉にできるのにも、きっと時間がかかることですよね。
誰かの意見を聞いてハッとしたり、「私はちょっと違うかも」なんて感じることもすごく大切なこと。
正解はきっとたくさんあって、そのどれもが正しいしちょっとたりないところがあるような気がします。
子どもたちの周りにいる大人がずっと考え続けていくこと、そして話し合っていくこと。
それらが込められたプログラムを展開することが、私たちにできること。

社会の宝である子どもたちを、ボーイスカウトとしてどう育んでいけるのかな?を考える時間。
家庭と学校とボーイスカウト。
保護者の方々のご参加も大いにお待ちしています。ぜひ一緒に学びあいましょう。
参加ご希望の方は、ぜひご連絡くださいね。

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来年はぜひ一緒に! ~スキー訓練~

DSCF01421月2日から4日までは、14団恒例のスキー訓練。
1972年に始まったというのだから、かれこれ40年以上も続いています。
お正月ということもあって希望者のみの参加ですが、育成会長ご夫妻に率いられてのこの3日間は、ビーバースカウトやカブスカウトのご家族も一緒にスキー三昧のほか温泉や美味しい食事を楽しむだけでなく、ビーバースカウトからローバースカウト、もちろんリーダーとも親しく過ごせる貴重な時間。
デンリーダーを経験する前の保護者にとっては、朝礼や食事の準備にてきぱきと動く先輩スカウトに感心したり、大勢の中で育まれている我が子の姿を間近に見るのはとっても新鮮。
夜の親睦会ではさまざまなボーイスカウト談義や体験談が飛び交うので、一気に14団が近しい存在となるチャンスでもあります。
14団の長い歴史の一コマ一コマに耳を傾けつつ、かっこいいリーダーにもカブスカウト時代があって、実はとんでもないやんちゃ坊主だったなんて聞いてちょっとホッとしたり、成長とともに親と口を利かなくなったりの反抗が見られても、外ではちゃんとわきまえて行動していくから大丈夫と教えてもらったり。
また、最近では友好団のガールスカウトも参加しているので、一気に華やかさが増すとともにちょっとちがった目線での話が聞けるのもうれしいことの1つ。

DSCF0146スカウトたちは、日中はスキーまたはスノーボードをリーダーから手ほどきを受けますが、もちろん、スクールに入ることも。
そりを楽しんだり、チャレンジブックの「スキー選手」をクリアしようと真剣に取り組んでいるカブスカウトもいるのを、引率リーダーは連絡を取り合いながら常に巡回して見守っています。
毎年のこの訓練で鍛えた技を競う「リーダーとの直滑降レース」は、今年もリーダーの圧勝だったそうですよ。
夕食後のナイトゲームでは「雪のタワー作り」「雪合戦」で、縦割り班での真剣勝負。スカウト新年会を控え、アイデアを練っている最中のベンチャースカウトの企画が今年も光っていました。

大人たちが懇親会で楽しんでいる頃、スカウトたちはキャンプや舎営では絶対に考えられない過ごし方で楽しんでいます。
ひところはゲームボーイやプレステを荷物に忍ばせてきて、リーダーに隠れてのゲームにスリルを味わったり(もちろんリーダーは全部お見通し)、弟分である後輩スカウトたちと真剣に遊んだり、またいつまでも話しこんでいたり。
ここで生まれる繋がりはさまざまな場面で生きていて、年齢を超えての友情を育み、それはまた14団での活動をさらに幅を広げる力にもなっていくのですね。

お宿は9年前から沼尻温泉の田村屋さん。
2011年の東日本大震災による原発事故の直後は避難してこられた方に部屋を提供されましたが、その後はキャンセル続きもあって大変だったそうです。ありがたいことに今も変わらず元気のよいスカウトたちを気持ちよく迎え入れてくださっています。
人と人の和をたいせつにする育成会長ならではの心遣いの積み重ねに、ここでも私たちは守られています。

タスキを繋ごう

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縦断リレー公式HPより

この夏、青森・東京間1200キロマラソン(震災の風化を防ぎ、東京五輪の成功祈願のための実施)に参加した同級生から、写真添付でメールが送られてきました。彼は青森から受け継がれてきた汗のしみ込んだ「タスキ」を受け取り、70才以上の老人代表として、日立市内の3.3キロを走破し次奏者に「タスキ」を渡した喜びと満足感を伝えたかったのだと思います。

昭和36年に発足した当14団(発足時は東京182団)は5数年が経過しています。この間神父さま、教会関係者、育成会の方々、リーダー、スカウト等多くの人が目に見えない「タスキ」を継いできたからこそ、今日があるものと思っております。ボーイ隊のみでスタートした団も今やビーバーからフルの隊組織になり盤石なものになったと聞いております。

以前「14団ニュース」に育成会理事の田代さんが「東京オリンピックでのスカウト活動」、西和田さんが「学業とスカウトの在り方」について書かれていました。彼らも「タスキ」を継ぐ担い手であり、彼らのスカウト時代を知る者として感慨深いものがありました。

14団をこれから発展させる「タスキ」をつなげていくのは現役の団関係の方々、リーダー、スカウト、そして、この9月に入隊した新しいスカウトの皆様だと思っております。中核にいる皆さんが、新しい歴史を作る担い手と言えると思います。

学校生活、クラブ活動、受験関連等々スカウト活動に必ずしも十分な時間を割けないのが現実かもしれません。しかし、人間形成という面でスカウト活動を通じて学べるのは計り知れないものがあると思います。学校では学べない何かが、必ずあります。「歴史作り」「自分作り」に現役のみなさんがこれからも頑張ることで、14団が益々繁栄し。今まで以上に新しい歴史と伝統が築かれることをOBとして大いに期待し楽しみにしております。

(OB会 山崎会長よりメッセージ)

新しい門出に弥栄!

桜の季節の4月に中学、高校、大学へ其々進学されたスカウトがいると思います。リーダの中には社会に巣立った方もいらっしゃいます。新年度に新しい門出を迎え張り切りきることは本当に素晴らしいことだと思います。

ただ、新しい門出で環境が変わると、スカウト活動の継続が難しくなることがあります。

私自身、小学4年からボーイに入団しましたが、小学6年は中学受験でボーイの活動をお休みしました。中学進学に際し、リーダから「また戻って来い」と言われ、結果として、都心の中学だったので地元の友達と成城教会で活動できたことがとても楽しかったのを記憶しています。

高校時代も忙しくてベンチャーの活動にあまり参加出来ませんでした。それでも大学に進学した時、団の方からリーダを手伝わないかと誘って戴き, 御陰様で大学時代はカブとベンチャーのリーダを楽しくやらせて貰いました。思い返して見ると、私のスカウト活動は何度か中座し、決して勤勉なスカウトではありませんでした。ただ、当時の関係者の暖かいスタンスで、スカウトを長く継続でき、結果として私の半生に大きな幅が出来たと感謝しています。

団委員やリーダの皆さんへのお願いは、途中でやめたり、休隊するスカウト、或は欠席がちなスカウトに対し、決して排他的にならず大きな目で見守ってあげて欲しいということです。「スカウトは永遠に」という言葉がありますが、関係者の広い気持ちがあるからこそ実践できるのだと実感しています。この春新しい門出を迎えた皆さんに心から弥栄を贈ります。

(西和田健二育成会常任理事からのメッセージ 14団ニュース2014年5月号より)

川原神父さまからのメッセージ

BS運動は、青少年の社会教育を推進する最高の運動であると確信する

今から約50年前町田教会担当司祭としての一年目の夏、3名の男の子たちの求めに応えてボーイスカウトを作る決意を固め、隊長1名、団委員3名という最小限の組織を準備し、10月から募集を始めた。

ボーイ隊結成のための最少人数12名が集まったところで、11月半ばから訓練を始め、翌年1月末の日曜日に町田第一団として発団した。

私自身は発団までに指導者講習会に出席して資格を取りはしたものの、当初は団の責任者として何をすべきかも、全て隊長から教わりながら運営に参加していたが、一年後には指導者研修所に、その又一年後に指導者実習所に参加するに及んで、この運動の核心に触れるようになり、この運動はキリスト教を青少年教育に受肉させた運動であると自信を持って説明できるようになった。

50年の体験を経た今、声を大にして言いたいのは、『ボーイスカウトに勝る社会教育運動はない』ということである。理由としては、①班制度を少年グループの必須条件としていること、②文字で知識を学ぶより実践で学ぶことを大切にする教育法、③地域社会に奉仕することを奨励する日々の善行をモットーとすること、④きわめつけは創始者の最後のメッセージのことばである。いわく「本当の幸せは、人を幸せにすることである。その道にそなえよ つねに」。

(14団ニュース 2014年1月号より)

 

2014年度 育成会総会

11月17日()の午後、信徒会館2階で育成会総会が開かれました。25年度(24年10月~25年9月)の活動報告と決算、 26年度(25年10月~26年9月)の活動計画と予算について育成会員の皆様の承認を頂くためです。

総会の議事に先立って、13時30分から約1時間昨年同様茶話会が開かれ、お茶とお菓子(育成会のお母さん方の手作り)を戴きながら、堤ボーイ隊副長が準備したスライドショーによる各隊活動の映像を楽しみました。   

総会は14時30分から約1時間。久保田会長のご挨拶に続いて、水野団委員長による活動報告と今年度の計画の説明があり、さらに会計担当の近藤団委員から決算と予算につき説明がありました。審議の結果何れも原案通り承認されました。詳細については育成会総会資料をご覧ください。この後、恒例の各隊の保護者会が開かれ、リーダーとスカウト保護者(育成会員)の交流が楽しげな雰囲気の内に進められました。

 

私とオリンピック

2020年に東京でオリンピックが開催されることになりました。東日本大震災からの復興はまだまだ途上であり、福島原発の汚染水問題も解決とは言い難い状況で、お祭りムードに浮かれてばかりはいられませんが、世界中の人々が一堂に集う「平和の祭典」が身近な機会として与えられたことは喜ばしいことだと思います。

前回の東京オリンピックは、1964年10月10日(この日を記念して10月に「体育の日」という祝日が設けられました)に開会しました。当時ボーイスカウト(中学1年生)だった私は、サッカー会場となった駒沢のスタジアムでスカウト仲間と共に参加各国の国旗を掲揚し、大変誇らしく思い出深い時間を過ごすことが出来ました。

「近代オリンピックの父」と呼ばれるクーベルタン男爵は、「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加すること」そして「人生にとって大切なことは、成功することではなく努力すること」と語ったと伝えられています。この言葉はスカウト活動にも通じることで、いろいろな機会に積極的に参加し多くの人(価値観)を知り、勝利(成功)のためではなく、人のために何をなすべきか考えて行動(努力)することが重要だと言えます、「おもてなし」の精神で。

(田代晋平育成会常任理事からのメッセージ 14団ニュース2013年10月号より)

東京五輪国旗掲揚協力記念メタル(江口春雄氏提供)

オリンピック

 

結団52周年記念式典

52周年8月25日カトリック成城教会聖堂で、結団52周年記念式典が行なわれました。

ベンチャースカウトの太鼓に合わせて各隊代表スカウトがそれぞれの隊旗を、ベンチャースカウトが国旗を手に堂々と入堂してきました。式典では、これまで14団(旧182団)を支えて来られた方々、先輩スカウトで帰天された方々に思いを寄せる時間を持ちました。団が着実に発展してこられたのは、その当時の多くの方々に支えられてきたからこそ。そして、たくさんのスカウトに恵まれて活発に活動してゆける今の幸せをかみしめるひと時となりました。結団50周年を振り返り、長い間団を支えてこられた久保田武光育成会長・柳昭一育成会常任理事・高梨清志育成会常任理事のお三方に水野団委員長より感謝状が贈られました。

結団52周年記念式典後は、ガールスカウトも一緒に「これからの一年も心をひとつに」の願いを込めて伝統の「同じ釜の飯を喰おう会」。ビーバー隊のお母さんたちにお手伝いいただいて用意したカレーは今年もおいしく出来上がり、たくさんお代わりをしてもらって完食でした。ようやく日が沈み、いよいよベンチャースカウト登場!営火の始まりです。ことのほか暑かったこの夏を吹き飛ばすような笑顔はじけるスタンツやゲームにスカウトたちは大喜び。火を囲んでみんなで歌い踊り、共に過ごせる喜びを分かち合いました。

我が故郷 鹿児島でのキャンプの思いで

色々な団でお世話になって来ましたが、お隣の狛江でシニアー(現在のベンチャー)隊を預りスカウト活動をしてきました。当時のシニアー隊では夏キャンは県外活動が盛んで特に佐渡ヶ島や東日本大震災で被災した宮城・岩手の碁石海岸でのキャンプを思いだします。 だが昭和50年後半には九州南端の屋久島でのキャンプの提案がありましたが検討した結果、せめて本土の最南端鹿児島で落ち着き現地のリーダーとも連絡を取りあい計画書を作成させ実施に移すことになりました。

乗り継ぎをしながらの列車の旅、キツイながらも楽しい車中で時刻表の見方から始まりヤット下関へ、関門トンネルを通過する時、窓から魚が見えるぞと言ったらどこです?と窓に顔をスリ着けて車外を見渡す幼稚さに大笑いして九州へ。

鹿児島に無事到着、鹿児島3団のリーダーの出迎えで第1日目の宿泊地西本願寺別院へ路面電車で。第2日目からいよいよ移動キャンプ、 バスで本州最南端薩摩富士(開聞岳)の間近のフラワーパークへ、入る前地元の人にこの辺では奇妙な事が良く起こる事があるよと言われビクビクしながらのキャンプイン、静かで人の気配もなくチョット淋しい場所、夜の肝試しは想像にお任せします。

第3日目は東シナ海に面した吹上浜近くにキャンプ場もあり特に問題なく、のんびりと。最終日は鹿児島市に戻りフェリーで桜島へ度重なる噴火で排出した溶岩や土石流の川などの散策、展望所で丁度噴煙が出て降灰があり記念に頭から灰を被って自然の雄大さに感激。市内に戻り友人にジャンボ(お餅のつぶしたのを2本の竹串に刺したもの)を御馳走になり感謝しながら鹿児島を後にしました。

我が故郷鹿児島は全体的に暖かいのですが、桜島の降灰がなければ人情味もあり食べ物も豊富で、薩摩いもの産地で有名な芋焼酎も沢山あります。参加したスカウトにとつてはいろんな人々とのふれ合い等で貴重な体験が出来たと思われます。

是非皆様も一度はのんびりと南国鹿児島を探索されては如何ですか。

(平田清隆育成会常任理事からのメッセージ 14団ニュース2013年7月号より)

ミッション

世田谷14団では一昨年、結団50周年を迎えるに当たって、フォーラムで、私達のミッションとビジョンについて討議し、活動方針についての提言をまとめました。その時に決まった私達のミッションは……

スカウトの「ちかいとおきて」、「キリストの愛」に重きを置く青少年を育成する です。

所で、このフォーラムを推進するに当たって参考にしたP.F.ドラッカーの著書にはミッションについて次の様な記述があります。

「非営利組織(世田谷14団)はミッションのために存在する。それは社会を変え、人を変えるために存在する。非営利組織がミッションの為であることこそ忘れてはならない」

又、「非営利組織はあらゆる政策、決定、行動において…ミッションの実現にプラスになるか…を考えなければならない。」

更に、「非営利組織の強みは、報酬のためではなく大義のために働くところにある。それだけに、組織の側に、情熱の火を燃え続けさせる責任がある。仕事を労働にさせてはならない。ミッションを感じることこそが非営利組織の活力の源泉である」

14団では多くの優秀なリーダーが活動し、私達のミッションの実現に向けて様々なプログラムが展開されています。 育成会員の一人として、その情熱の火が持続するように、皆様と御一緒に色々な角度から14団の活動をもっとバックアップ出来れば…と思っています。

(高梨清志育成会常任理事からのメッセージ 14団ニュース2013年4月号より)